1. ホーム
  2. オーナー向けのメッセージ , トップ >
  3. 借家法の制定から定期借家権の誕生物語

借家法の制定から定期借家権の誕生物語

今回は、賃貸経営をする上で大きく影響する「借家法」と「定期借家権」が生まれた経緯を考えてみたいと思います。

時は明治の時代です。日露戦争の直後といいますから明治38年頃でしょうか。大工のトメさん(架空の人物)が借家で家族と暮らしていました。
ある日、突然に大家さんが現れて「明日で契約が切れるから出て行っておくれ」と言うのです。大家さんが言うには、戦後の経済発展で地方から都市部に労働人口が流入して、家賃の相場も上がっている、とのこと。「もっと高く貸せるから」と言うのが大家の言い分でした。

トメさんはこの貸家に住んで6年になります。今まで2回ばかり契約の更新をしていて、今度も当然に更新するつもりでいました。しかし、当時の賃貸借契約は大家に更新の義務はないので、2年契約といえば2年で終わるものでした。大家の言い分に法律上の非はありません。トメさんは泣く泣く、家賃の値上げを、大家の言い分通りに飲むしか術(すべ)はありませんでした。

トメさんのような借家人が、安定した住居を確保できないのは望ましくないという理由から、借主を保護する事を目的で借家法が作られたと言われています。大正10年のことです。
その中で特筆すべきは「法定更新」です。貸主が更新を拒否するときは半年前までに通知しなければならない、というものです。通知をしないと強制的に更新されます。これによって、トメさんのような借家人は、半年前には「出て行かなければならない」ことが分かるので、別の住居を探す余裕が生まれることになりました。

さて、明治・大正の次は昭和の時代、日本は戦争時代に突入してしまいます。トメさんの孫も立派に成人して戦地に行くことになりました。戦地に赴く者の心配事のひとつに、残された女房と子供の住居の問題がありました。「自分がいない間に借家を追い出されるのではないか」という想いです。実際に、夫を失った未亡人や遺族が、「半年前の通告」によって更新を拒絶されて借家を追い出されるという事態が起こったと言われています。「これでは安心してお国のために働けない」。このような背景から、「半年前に通告しても、正当な事由がなければ貸主からの契約解除は認めない」という主旨が借家法に加わりました。国民全員が戦争に集中するための「戦時立法」だったと言われています。
しかし、戦争が終わった後もこの制度は現在まで続いています。これによって事実上、契約満了による地主、家主からの解除はできなくなったのです。

世の中は平成の時代となり、トメさんのひ孫は成功して地主と大家になっていました。地価が上昇して、固定資産税や相続税の負担が増えてきましたが、借地借家法に守られた借地人や借家人のために、土地の有効活用が図りづらくなったり、売却も思うようにならないという事態になりました。明け渡しを要求しても、驚くような高い立退き料を支払わなければなりません。あの「正当事由制度」が大きく影響しているのです。
そこで、平成4年に定期借地権、平成11年に定期借家権という制度が生まれました。この制度を使って賃貸借契約をすれば、法定更新や正当事由の適用もなく、期間満了とともに契約は終了します。現在では、今までの「正当事由」による借地借家制度と、新しい定期借地、借家制度が両方とも存在し、貸主と借主はどちらも選べるようななっています。
しかし、一般のアパート・マンションの賃貸借契約では、いまだに「正当事由」による借家制度(普通借家権という)が多く選ばれていて、定期借家契約の割合は一桁台に留まっています。折からの「空室増時代」にあって、一定期間しか住めない定期借家では「部屋が決まらない」と思われているのです。それは「誤解だ」という意見もあります。せっかく貸主寄りの制度が生まれたのに勿体ない話ですね。

最後に、正当事由制度の導入は「戦時立法とはいえない」と主張する声もありますので申し添えておきます。

管理と仲介手数料が増える!無料メルマガ 賃貸管理戸数を増やし、仲介売り上げを増やすために役立つメールマガジンを無料で公開しています。 →さらに詳しく知りたい方はこちらをクリック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です