先月の記事で、敷金から実費を差し引く“実費精算方式”が違法との裁判で、貸主側が敗訴したニュースを伝えましたが、今回は、首都圏でも多く見られるようになった、「敷金2ヶ月償却1ヶ月」という賃貸借契約が争われました。
関西などで連続して敗訴している「敷引き」とは、差し引かれる金額も少ないので、「この条件なら認められるだろう」と言われていた「敷金償却制度」ですので、裁判の結果が注目されました。
原告(借主)は、2008年3月に川崎市内の賃貸マンションを定期借家契約で借りる際に、契約期間1年、賃料99,000円、敷金198,000円(2ヶ月分)で契約しました。敷金については「解約時に敷金の1ヶ月分を償却する」と記載されていました。
その後、借主は7ヶ月後の10月に契約を解除して退去しましたが敷金1ヶ月分が返還されなかったため、被告(貸主)に対し残りの1ヶ月分も支払うよう求めて裁判を起こしました。
訴えた借主の言い分は次の通り。
①仲介会社から説明を受けたときは、償却分が原状回復費用に充てられると聞いたが、担当者の立ち会いによる室内チェックでも借主の故意過失による棄(き)損はなかった。
②契約時に交付された「賃貸紛争防止条例に基づく説明書」には参考として、「敷金のうち1ヶ月分を償却する」とあったが、実際の条例に基づく説明書にはほぼ無条件で償却を義務付けるような文章は記載されていない。条例で償却が認められているような事実誤認をさせており、消費者契約法3条と4条に触れる。
つまり、原状回復そのものが不要な状況なら費用負担する必要がないし、そもそも「1ヶ月の償却」が東京ルールの中に記載されているような誤った説明をしているので無効である、という主張です。
これに対し貸主側の言い分は、
①この特約は空室補填の性質があり、契約書に明記している。
さらに、
ア・定期借家契約の中途解約要件を借主にやむを得ない事情がなくても1ヶ月の予告をすることで契約解除できるようにした。
イ・これと関連し、短期間で空室が生じると貸主は新たな広告費などにより実質賃料が低下し安定収入も確保できなくなる。借主は長期間居住すると償却分の1ヶ月当たり負担額が減少する。
②短期・突発的退去から生じる費用面のリスクを貸主・借主に公平に分配するものだ。
つまり貸主側は、借主の都合によって契約が短期で終了したときの貸主の費用負担増を「償却分」で埋め合わせる、という主旨で主張しています。
これに対して裁判所はどのような答えを出したのでしょうか。
まず「敷金償却の性質」がどう認定されるかが重要なところですが、
借主は「償却分は原状回復費用に充てると説明された」と主張し、貸主は「償却分は短期間で退去されたときの空室補填」と主張して両者の言い分が対立しています。
このことについて裁判所は、「当事者の間で明確な合意はなかった」とした上で、「この裁判でその有効性を検討するのは妥当でない」としました。この裁判で検討すべきテーマは、「敷金償却が消費者契約法10条違反になるかどうか」であるとのことです。
これは私見ですが、首都圏やその他の地域で馴染みの少ない「償却」という制度で契約する際、その性質を明確にしておくことは重要なことです。
今回の裁判は貸主側が勝っていますが、「当事者間で合意なし」と判断されるのは大きなマイナスなので、特約の書き方の参考にしたいところです。
さて裁判所は消費者契約法10条違反かどうかについては、「この特約は、同10条前段の、民法の任意規程などに比べ消費者(借主)の義務を加重している」としましたが、「同条後段の消費者の利益を一方的に害するものには当たらない」としました。
一方的に害するとは、「事業者との間にある情報の質、量、交渉力の格差を背景に、利益を信義則に反する程度に侵害することを意味する」と解釈して、今回はそれに当たらない、としたのです。
以下は判決の要約です。
①敷引き(償却)特約の内容は契約書に明記されているとともに、原告(借主)も説明を受けて契約を締結したと認めている。
②被告(貸主)が主張する「広告費や空室時の賃料分を借主に負担させる」という主旨は不合理だが、貸主としては、賃貸による収益を上げるために要するそのような経費は借主から回収するほかないため、そうした経費を賃料から回収することが許されないというものではない。
③これらの判断により、信義則に反する程度に利益を侵害するとは認められない。
以上によって首都圏で初めての「償却制度」が争われた裁判は、貸主側の訴えが認められました。
今回の事例で思うことは、関西などの“敷引き”と比べて、差し引く金額が賃料の1ヶ月分と少額であるため、「そもそも訴える者はないだろう」と考えていたのですが、例え10万に満たない金額でも返還訴訟はあるのだな、という点です。
そして、裁判の結果が良かったとはいえ、「償却=原状回復費用」と認められたら不利になる、という点も見逃せません。
今回の、「償却=短期解約の際のリスク(空室補填)」という考えが認められたことは大いに参考になります。
いずれにしても、「敷金2ヶ月、償却1ヶ月」という契約条件は、特に首都圏では今後も多くなっていくのではないでしょうか。今回は返還訴訟が起こりましたが、そもそもは「1ヶ月で裁判まで起こしても・・・・」という心理が働きますから、紛争防止にもなるはずです。
償却制度を利用する際は細かなところまで明確にする必要があります。
・借主の故意過失・通常を超えた使用による損耗が発生したとき、償却分を超えた分を請求するのか、償却分とは別に支払いを求めるのか。
・そもそも償却で差し引かれる費用は何と説明されるのか。
そしてその説明を、契約書などの書類でしつこい程度に記述しておき、確認を求めることが大切でしょう。