「敷引き」特約は消費者契約法により無効か


 
 関西地方では賃貸住宅明け渡しの際に、敷金(保証金)の一部を差し引く「敷引き」特約が慣習となっています。昨年、神戸市中央区の男性(29)が東京都港区の不動産業者(サブリース会社=貸主)に「敷引き」で差し引かれた約25万円の返還を求めましたが神戸簡裁は男性の返還請求を棄却しました。しかし男性は控訴したので神戸地裁で控訴審が行われ7月14日、今度は前の判決を取り消して不動産業者に全額返還を命じる逆転判決が下されました。
今回はこの事例を研究して、今後の敷金特約の指針としていただきたいと思います。
なお“敷引き”は関西独特の慣習ですが、関東・中部・福岡でも“敷金償却”という名目で同様の特約が見られますので、同じ問題がこれから発生するものと予想されます。


■まず契約の内容は以下のとおりです。
○賃貸期間;平成15年8月3目から17年8月2目
○賃料;56000円 ○共益費;6000円
○保証金;30万円(敷引特約として25万円は返還しない)
男性は契約を解除して保証金の残金5万円を受け取りましたが「敷引特約は消費者契約法10条により無効である」と言って差し引かれた25万円の支払いを求めました。


■返還請求した原告(男性)の言い分(一部省略しています)

@敷引金を自然損耗の修繕費用と理解した場合 
自然損耗の修繕費用は賃料に含まれているので、更に敷引金として受領することは、賃料の二重取りとなるので、消費者である賃借人の義務を加重する条項である。

A敷引金を空室損料とした場合

空室が発生した際の損料として敷引金を充当するとすれば、空室期間の賃料を賃借人に負担させることになるので、消費者である賃借人の義務を加重する条項である。

B信義則に違反している
1 行政庁は自然損耗の修繕費用は貸主負担、故意又は過失の場合のみ借主負担というルールを定めてきた。敷引金を自然損耗の修繕費用とするならば、行政庁によって確立されてきた原状回復のルールに反するものである。また、実費額の請求ならまだしも定額を返還しないのは、不当性、不合理性はより著しいというべきである。

2 敷引金25万円は単身者向け賃貸住宅としては高額であり、保証金の83%、賃料の4.5か月分に相当するので、消費者である賃借人にとって過酷である。また賃借人は、本件建物に7ヶ月あまりしか居住していない。

3 賃貸人は、不動産業者に頼んで契約書を用意しておき、その中に賃借人の利益を一方的に害する条項を組み込ませておくことができる。賃借人は条項を承諾して契約締結するか拒否するかの自由しか与えられていないので、交渉によって条項を変更させる余地はない。

4 本件敷引特約は、当事者間の情報力及び交渉力の格差につけ込み、賃貸人が賃借人に一方的に押しつけたものであって、著しく信義則に反するというべきである。

以上のとおり本件敷引特約は消費者契約法10条により無効である。

■これに対し請求された被告(貸主)の言い分は以下の通りです。

@敷引金の性質
敷引金の性質は、
1賃貸借契約成立の謝礼
2賃料を低額にすることの代償
3契約更新時の更新料免除の対価
と理解されるべきである。
原告は敷引金の性質が自然損耗の修繕費用であると主張するが、これを裏付ける事情はない。

A義務の加重について
本件敷引特約は、消費者契約法10条の適用にあたらない。

B信義則違反について

敷引特約一般について
(1) 関西地方において、慣行として敷引特約が付されている賃貸借契約は多く存在している。

(2) 本件物件のような賃貸住宅の情報は、雑誌やインターネット等によって広く公開されており、賃料や敷引特約の有無や敷引金額も明記されている。賃借人はいろいろ比較し総合的判断のもとに自らの希望に添う物件を選んでいるのが実情である。

(3) 賃借人は仲介業者を通じて交渉し、賃料・敷金(保証金)・敷引金額を減額するということが広く行われており、賃貸人が一方的に契約条件を押しつけているという関係にはない。

(4) 敷引特約は自然損耗の修繕費用を賃借人に負担させる特約とは異なり、あらかじめ敷引金が具体的に明示されており、預託した金額のうち返還されない金額が誰にでも容易に理解できるものである。そのため、賃借人は、敷引特約の内容を検討し、賃貸借契約を締結するかどうかの判断材料とすることができるのであって、何ら賃借人に不利益を与えるものではない。

C本件に固有の事情について

(1) この契約は、原告が選んだ業者が仲介をしており、契約交渉もこの業者を通じてなされているので、原告と被告の間で情報力及び交渉力に格差はない。

(2) この敷引特約は賃料とともに契約書の条項に明記されている。原告は仲介業者から重要事項の説明も受けているので敷引特約の理解について不十分であったとは考えられない。

(3) この契約書は、原告が依頼した仲介業者の定型契約書を用いて作成されたもので、「敷金」、「礼金」、「保証金(解約引き)」の欄が並べられていて、敷引特約がない物件についても利用されている。原告が主張するように、賃貸人側で契約書を作成しその中に賃借人の利益を一方的に害した条項を組み込ませたものではない。

(4) 敷引金が25万円という内容は、近隣の類似物件でも多数採用されているので不相当に高額とはいえない。また、原告が居住していた期間が7ヶ月であったとしても契約による期間は2年間とされているから原告の退去はあくまで原告の都合にすぎない。

以上のとおり、敷引特約に関する一般的な事情だけでなく本件に固有の事情に照らしても、この敷引特約が消費者の利益を一方的に害するものとはいえない。


■さて、裁判所の判断は次のようになりました。

@義務の加重
民法において、賃借人が負担する金銭的な義務は賃料以外はないものと解される。
また敷引特約が確立されたものとして一般的に承認されているということはできない。
したがって、賃借人に賃料以外の金銭的負担を負わせる内容の本件敷引特約は、賃借人の義務を加重するものと認められる。

A信義則違反

(1) 本件敷引金の性質
関西地区での賃貸借契約においては敷引特約がされることが多い。
この敷引金の性質は一般的には、
1 賃貸借契約成立の謝礼
2 貸室の自然損耗の修繕費
3 更新時の更新料の免除の対価
4 契約終了後の空室賃料
5 賃料を低額にすることの代償

などと説明されている。
敷引金の性質について当事者の明確な合意がない場合は、上記1から5が渾然一体となったものと解釈できるし、本件の場合もこれに当てはまる。
被告は、この敷引金には自然損耗の修繕費用という性質はないと主張するが、使用された賃貸借契約の約定をみるとその側面も有しているものと解されるので、被告の主張を採用することはできない。

(2) 上記1から5の各要素の検討

1 賃貸借契約成立の謝礼
賃借人のみに謝礼の支出を強いることは、賃借人に一方的な負担を負わせるものである。

2 自然損耗の修繕費用
賃料には自然損耗の修繕費用は含まれているので賃借人から敷引金を取ると二重の負担を強いることになる。

3 更新時の更新料の免除の対価
賃借人のみが更新料を負担すること、及び、契約が更新されるかどうか関係なく更新料を免除する代わりとして敷引金の負担を強いられるのは不合理である。

4 賃貸借契約終了後の空室賃料
賃借人が空いている期間の賃料を支払わなければならない理由はない。

5 賃料を低額にすることの代償
敷引金よって賃料が低額に抑えられているのなら賃借人の負担が増えたとはいえない。
しかし、賃料の減額の程度が敷引金と相応するものであるかは判然としない。また、賃貸期間の長短に関係なく一定額を負担するのは合理的でないし、賃借人は契約の際に賃貸期間について明確な見通しがあるわけではない。そして、敷引金の負担によりどの程度賃料が低額に抑えられているのかという情報を提供されない限り有利か不利かを判断することも困難である。

(3) まとめ
本件敷引金の1から5の性質から見ると、賃借人に本件敷引金を負担させることに正当な理由を見いだすことはできない。
そして、上記1から5以外に敷引金に正当な理由があることも考え難い。
さらに、賃借人が敷引金の減額交渉をする余地はあっても、賃貸事業者(又はその仲介業者)と消費者である賃借人の交渉力の差からすれば、特約を排除させることは困難であり、賃貸事業者が消費者である賃借人に敷引特約を一方的に押しつけている状況にあるといっても過言ではない。

したがって、本件敷引特約は、賃借人の義務を加重し、信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであるから、消費者契約法10条により無効である。


■紛争から学ぶこと

いよいよ「敷引き特約」も、消費者契約法により無効とされる事例が出現したか!という思いです。
簡易裁判所の判決が地方裁判所(第二審)で覆された、ということも大きいと思います。もっとも、引き続き高裁で争われる見込みなので、まだ判決が確定したわけではありません。

さて、まず気が付くことは、今回の事例で使用された契約書が「敷引き専用」ではないことです。これによって
@敷引金の性質が曖昧となり裁判所に「今回の敷引金は一般的な1から5までの性質が渾然一体となっている」と解釈されてしまいました。
過去の判例ではこの「渾然一体となった敷引き」が認められているのですが、平成13年4月1日以降の消費者契約法によって、控訴審レベルで初めて特約自体を無効とされたわけです。

A次に、敷引金が「自然損耗の修繕費用である」と解釈されてしまいました。
貸主側は「自然損耗の修繕費用であると裏付ける事情はない」と主張していますが、条文が、敷引特約のない場合は「敷金から原状回復費用を差し引ける」とあって、敷引特約がある場合は「差し引かない」とされているので、「それなら敷引金は自然損耗の修繕費用の側面も有している」と裁判所は解してしまったのです。敷引金が「自然損耗の修繕費用である」と解釈されると裁判ではかなり苦しいでしょう。

今年4月20日にも大阪地裁において「敷引特約」に対する判決が出ていますが、その内容は「敷引金40万円のうち10万円を超える部分について消費者契約法の適用により無効とする」というものでした。裁判官は「この敷引金は自然損耗の修繕費用である」とした上で、10万円までは賃借人に負担させることを認めました。この時はたとえ10万円でも借主負担とすることを認めたのですが、今回は一銭も認めませんでした。
いずれにしても敷引金の性質については、当事者の間で明確に合意し、それが証明できるような契約書を用意したいものです。

それでは敷引金をどのような性質とすれば正当な理由として認められるのでしょう。
この判決文では「賃料を低額にしていることの代償」の場合のみ「賃借人の負担が増しているとはいえない」として認めようとしています。賃料を相場より安くしている分、敷引金として徴収するという、つまり敷引金が賃料の一部である、という考え方です。「賃借人に賃料以外の金銭的負担を負わせる内容は“義務の加重”で認められない」と言ってますので、特約が認められる道はそれしかないでしょう。
ひとつのアイディアとして、いくつかのコースの中から賃借人に選んでもらう、という方法が考えられます。例えば、 
@家賃60000円で敷引き25万円
A家賃62500円で敷引き12.5万円
B家賃65000円で敷引き無し

この中から自由に選択してもらいます。@はBに比べて賃料が低いので敷引金で調整しています。
賃借人に選択権を与えれば「事業者と消費者には交渉力に差があり消費者が不利」という構図も和らぎます。

もう一つは「敷引き」の代わりに「礼金」を徴収する方法です。契約時に預かるのではなく領収するので、解約時に返還請求されることはありません。少なくとも“今まで”は・・。
礼金がなくなりつつある関東でも、敷金を預かって返還請求されるよりは礼金を徴収して原状回復費用の請求なし、とした方がトラブルは防止できるかもしれません。もっとも今回の判決文が「賃借人のみに謝礼の支出を強いることは、賃借人に一方的な負担を負わせるものである」としている点は、今後は“礼金も無効”という判決が出る恐れを感じさせますが・・。

 今回の判決では「契約期間がわずか7ヶ月」である事と「賃料に対して敷引金が高額」という点は触れられていませんが、その事実が判決の結果に影響を与えているだろうな、と個人的には思っています。居住期間が5〜6年と長かったなら、敷引金が10万円だったら、判決はどうなっていたでしょうか。
これも今後のヒントになると思います。
それから貸主側の言い分のBとCは、かなり説得力が感じられる文章ですが全く無視されています。このような理屈は消費者契約法の前では通用しない、ということでしょう。

いずれにしても入居者=お客様です。商売人がお客様と争う構図がそもそも間違っていると思います。裁判沙汰になる前に話し合いの余地が必ずあるはずです。
礼金も敷引きも家賃の一部です。正々堂々と家賃として徴収できる魅力を、それぞれの物件なりに持たせることが一番大切なのではないでしょうか。

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